INICIAR SESIÓN桐崎と小川は騒々しい店に入っていた。
水緒が働いている店の客もお喋りはしているがここまでの「いらっしゃい」
そう言って女が近付いてきた。 離れた場所からでもキツい臭いがする。「あら、こちらは初めて見……」
女が隣に座ろうとする前に流は椅子から立ち上がって後ろに飛び「その女、すごく臭い」
流がそう言った瞬間、桐崎と小川が愕然とした表情になり、女は目を吊り上げて店を後にして歩き出してから帰り道が分からない事に気付いた。<
「名無という弟は混血だったのか?」「いや、あいつの母親も最可族よ」 この口振りだと、母親違いの弟という事なのだろう。「お前が混血だから純血の弟を妬んでたのか?」「わしの母も最可族だ。生粋のな!」 大鬼はそう言うと手を振り下ろした。 流が背後に跳ぶ。 後ろにいた鬼達は倒されていて残っているのは大鬼の周りにいた鬼達だけだ。 大鬼はたった一歩で流との間を詰めると再度腕を振り上げた。 その隙に流が懐に飛び込んで刀を払う。 鬼が刀を避けて後ろに飛び退く。 着地した瞬間、桐崎が背後から大鬼の背に刀を突き立てた。 鬼が目を剥いて後ろを振り返る。「貴様! 手出し無用と言ったはずだ!」「人間を喰う鬼との約束など守る筋合いはない」 桐崎はそう言うと突き立てた刀を横に払った。 腹が割けて臓腑が溢れる。 何か言おうと口を開き掛けた鬼の首を流が斬り裂いた。 喉笛が割けた鬼の言葉は音にならなかった。 残った鬼達が逃げだそうとしたが結界に阻まれて外に出られない。 いつの間にか小川が内側にも結界を張っていたらしく、外どころか建物の中に逃げ込むことすら出来なくなっていた。 流達は残った鬼達を残らず倒した。 他に残っていないか辺りの気配を探る。 それから流達は寺を後にした。 鬼が隠れていた時に備えて結界はそのままにしておくそうだ。 明日の昼、明るい時に来て建物の中などを隈なく調べると言っていた。「鬼だって焼け死ぬんだろ。なら建物ごと燃やせば良いんじゃないのか?」 流がそう言うと、「いや、ここは寺だ」 桐崎が答えた。「だから?」「仏像などがあるのに燃やすわけにはいかないだろう」 何故仏像を燃やしてはいけないのか理解出来ないと言う様子の流を見て小川は「やはり鬼は鬼だ」と言いたげな表情を浮かべた。「しかし、家族ですら
次の日、やはりつねは姿を見せなかったが今日はいつもより早いからかもしれない。 今夜は化物討伐の仕事があるから早く迎えにいけと言われたのだ。 水緒を連れて家に帰ると、流は桐崎、小川と共に郊外の寺に向かった。 最近、住職を始めとした寺に住んでいる者が全員鬼に喰われてしまい、今は鬼の住み家になっているというのだ。「寺は結界があるんじゃないのか?」 流やミケは結界を通れるような呪いが施されているらしいが、普通の妖は結界の中には入れないと言っていた。「結界を内側から壊されたのだ」「内側から? そんな事が出来るのか?」 それが出来るなら桐崎の家も安全ではないという事になる。 安心出来ないのなら桐崎の家にいる意味がない。「人間なら通れるからな。人間が中に入って結界を作っている物を破壊したのだ」「人間を守るための結界をなんで人間が壊すんだ?」「金で釣られたんだ」 小川が嘆かわしいという声で言った。「お陰で今回はただ働きだ」 桐崎が溜息を吐いた。「どうして?」「土田だ」 桐崎はそう言ってから、「そうか、覚えてないんだったな。お前達を騙したそれがしの元門弟だ」 と付け加えた。「水緒と俺を鬼に売ったって言う……」「そうだ。どうやら鬼に伝が出来てしまったようでな。鬼の使い走りで金を稼いでるらしいのだ」「存外、岡場所の女というのも鬼だったのかもしれぬな」 流が今ひとつ理解出来ていないのを見て取ったのか、土田は岡場所で女に入れ込んだ為に金に困っていると言った。 岡場所というのは、そこで働いている女と仲良くするための店らしい。 店だから当然そこに入る度に金を払わなければならない。 微禄の武家の息子なのだから金はほとんど持っていない。 だからそんなに高い店ではなかったはずだが、どれだけ安かろうと無い袖は振れない。 土田の家は息子に飯を食
水緒に苦労を掛けた挙げ句、早死にさせてしまうのでは山奥に行く意味がない。 桐崎の家は生活に困ってないから水緒は本来なら水茶屋で働く必要はないらしい。 水緒が働きたいというから好きにさせているだけで、報酬として貰っている金は小遣いにしているから身の危険を感じたら辞めさせて家に置いておけば安全だし、それで食うに困るという事もない。 流の剣術の腕が上がって桐崎の稽古場を継ぎ、水緒を家にいさせれば危険な目にも遭わず苦労もさせずに済むのだ。 それなら今すぐ辞めさせれば稽古が終わった後は毎日ずっと一緒に過ごせるのだが水緒が水茶屋での出来事を話しているのを聞いていると流の我儘で楽しみを奪うわけにもいかないと思ってしまう。 それは桐崎も同じらしく、本来武家の娘という事にしている水緒が水茶屋で働くことを許しているのは無理に止めると掃除や洗濯など使用人にさせているような家事をし始めそうだったから今だけという事で認めているらしい。 武家に嫁ぐことが決まったら水茶屋は辞めさせるとのことだった。 言うまでもなく、鬼や破落戸に狙われて危険だと思えば嫁ぐ前であっても辞めさせて家から出さないようにする。 水緒の小遣い程度なら桐崎が出せるから危険を冒してまで働く必要はないからだ。 つまり流が腕を上げて桐崎の稽古場を継ぎ、水緒を嫁にもらえば山奥に行くまでもなく望みは叶う。 桐崎は流と人間との間に子供を作らせるわけにはいかないと言っていたから稽古場の跡を継ぐのはともかく水緒を嫁にするのは認めてくれないだろうが。 流が内心で溜息を吐いた時、水緒が店から出てきた。 一緒に歩き出すと、「流ちゃん、保科さんと会った?」 と訊ねられた。「保科?」 流は水緒を振り返った。「うん、さっき見掛けたの、保科さんだと思うんだけど……」 水緒が働いている時、外を通り掛かった者が保科に似ていたというのだ。 仕事中だったし、すぐに人混みに紛れてしまったので声は掛けられなかったという。 つねも見掛けたと言っていたから
「紅葉狩り?」 水緒が流の言葉を聞き返した。「なんなのか良く分からないが、俺達はそれにも行ってたか?」 流の問いに水緒は紅葉狩りが何かを説明してくれた後で、「お花見と紅葉狩りは川開きとかと違って人のいない場所に行ってたよ」 と言った。 どうやら流が川開きや朝顔市など人の多い場所が好きではないという事に気付いていたようだ。 それでも朝顔市やほおずき市に誘ってくれたのは、おそらく以前の流はそれほど嫌がっていなかったからだろう。 今の流と違い、子供の頃から五年も暮らしていたなら江戸での暮らしに馴染んでいて人混みで不快になることもなかったに違いない。 ましてや水緒の喜んでいる顔が見られのだから嫌だなどと思うわけがない。「なんで花見と紅葉狩りは人がいないんだ?」 流がそう訊ねると花見や紅葉狩り、月見、雪見などはそれらを鑑賞するものであって場所は決まっていないらしい。 川開きなどは開催場所へ行く必要があるが、花見や紅葉狩りなどは桜や紅葉ならなんでもいいので人の少ないところに行っていたそうだ。 紅葉というのは秋になって色の変わった葉のことらしい。 わざわざ出掛けるまでもなくそこらの葉だって色は変わるだろうし、紅葉ならなんでもいいのに何故遠出する必要があるのか分からなかったが、それを口にしたら「興味がないなら無理に行く必要はないから」と言って行くのを止めてしまうかもしれないので黙っていた。 川開きのような人混みはともかく、人気のないところで水緒と二人きりで過ごせるなら出掛ける理由などなんでもいい。「ねぇ、お客さんから紅葉狩りにいい場所を教わったんだ。良かったら一緒に行かないかい?」 いつものように路地から出てきたつねが言った。「お前と行く理由がない」「やっぱり紅葉狩りはしないんだね」 水緒とは行くがそれをつねに教える必要があるとは思えなかったから黙っていた。「そんなんじゃ女に嫌われるよ」 この女が流を嫌って近付いてこなくなるならむしろ喜ばしいことなのだが。 最可族が
道はすごい混雑だった。 人で埋め尽くされていて地面が見えない。 見えるのは人の頭だけだ。 やはり流には人間の考えは理解出来ない。 水緒が働いている水茶屋がある辺りもそうだが何故人間はこんなに集まってくるのか。 正気とは思えない。 流は頭を振った。 川縁には様々な露店が並んでいる。「花火ってあれじゃないよな」 流が店を指す。 道端で男が口から炎を吹き出している。 それを大勢の人間が取り囲んで歓声を上げていた。「あの人は大道芸人」 水緒はそう言ってから道端に並んでいる露店を指した。「あれは夏の間だけ出てるお店。夕涼みに来た人が立ち寄るためのお店だよ」「帰り道は分かっているだろうが、はぐれるなよ」 桐崎がそう言ったが水緒はずっと流の袖の袂を掴んでいる。 少なくとも水緒と流がはぐれる心配はないだろう。 大川端は人で一杯だった。 川には船が何艘も浮かんでいる。 屋形船と言うらしい。「そろそろだな」 桐崎がそう言った時、聞いた事のない音がした。 空を見上げると何かが爆発して炎が四方に飛び散った。「た~まや~!」 誰かが叫んだ。 次々と花火が打ち上がり、その度に誰かが「たまや」だの「かぎや」だのと叫ぶ。 夜空に炎の花が咲く度に辺りが明るくなる。 確かに音はすごい。「綺麗だね」 空を見上げながら水緒が言った。 夜空に咲いた花火に水緒の顔が照らされる。 流がその顔に見蕩れていると、不意に水緒が辺りを見回した。「あれ? おじ様は?」 周りを見回したがどこにもいない。 言った当人がはぐれたらしい。「大人なんだし、一人で帰れるだろ」 擦れ違い様に流の財布を掏ろうとした男の腕を捻り上げながら言った。 流は痛みに顔を顰めている男から財
「流ちゃん、お待たせ」 女が店に入っていくのと入れ違いに水緒が出てきた。「水緒、あの女は知り合いか?」「ううん」 水緒が首を振った。「流ちゃんは知ってたみたいだけど」「どんな知り合いか言ってたか?」「流ちゃんがあの人と一緒にいる時、最可族に襲われたみたい。それで流ちゃんが助けてあげたら感謝されたって」「どうしてあの女と一緒だったかは聞いたか?」「ううん、前にあの人が話し掛けてきた時、流ちゃんに近付くなって言われただけ」「近付くな? 俺がそう警告したのか?」「うん」 水緒が頷いた。「なら俺の物忘れのことも言ってないよな」「あの後はさっきまで会ってないから。けど……」「けど?」「その時は私は供部だから、最可族に狙われてる人と一緒にいたら周りの人が巻き添えになるからって言ってた」「くべ?」 聞き返した流に水緒が供部の説明をした。 そういえば流が最初に水緒を助けたのは生贄にとして喰われそうになった時だったと言っていた。 水緒は母親共々村に生贄用に買われてきたらしいと。 供部について詳しく聞くと人間も鬼も大した違いは無いように思えてくる。 流は水緒にあの鬼の女については詳しく言ってなかったようで、顔見知りらしいと言う以上のことは分からなかった。 あの鬼は馴れ馴れしい割りには警戒が仄見えていて親しかった者の態度ではない。 それは水緒や桐崎達を見ていれば分かる。 小川は流の事を「鬼は鬼だ」などと言ってはいるがだからといって警戒はしていない。 流は意味のなく他者に危害を加えたりしないと知っているから側に居るからと言って用心したりしないのだ。 警戒するのは流のことを知らないと言うことだから、あの鬼は顔見知り以上の者ではなかったのだろう。 翌日の夕方、流が水茶屋の前で水緒を待っていると、「最近、また来るようになったけど、喧嘩でもしてたの?」 店の中で誰かの声
花を探している時、不意に、「最可族!」 流はぎょっとして自分の腕を見た。 いつの間にか袖が少しめくれて祟名が見えている。 目を上げると水緒と同い年くらいの女がこちらを睨んでいた。「あたしを殺しに来たのかい!」「何の話だ」 女の首に「身虫」という文字がある。 この女も最可族か……。「お前こそ俺の刺客じゃないのか」 流と女は睨み合った。「あんた最可族でしょ。あたしを殺しに来たんじゃないのかい?」「お前も最可族
流はここ数年で剣の腕が上がった。 勿論まだまだなのだが桐崎の化物討伐に同行出来るくらいにはなった。 討伐は大抵桐崎、小川と三人で行く。 化物が現れるところで待ち受け、討伐対象がやってくると小川が結界を張って敵に逃げられないようにする。 討伐の依頼人は対象の化物に狙われていることが多い。 当然敵は依頼人の前に現れる。 小川は依頼人にも結界を張る。 化物を倒したはいいが依頼人も死んでしまった、なんてことになったら報酬がもらえなくなるからだ。 それに依頼人を死なせた、などという事になったら当然評判
流と水緒が江戸に来て五年の歳月が流れた。 流は水緒の働いている水茶屋に着くと足を止めた。「水緒」 流が声を掛けると水緒が振り向いた。「あ、流ちゃん、もうすぐお終いだからそこに座って待ってて」 前掛けをした水緒は茶碗や団子の載っていた皿を持って店の奥へ向かう。 流は毎日水緒の送り迎えをしていた。 贄の印がなくなったとは言え供部であることに変わりはない。 一人で歩かせるのは危険だ。 それに水緒の送り迎えでこう言う盛り場を歩くようになって分かったのだが、危
看板が掛かっており、そこには「よろず御祓い承ります」と書かれていた。 桐崎が玄関でおとないを請うと、 「おお、生きて戻ったか」 総髪の男が出てきた。 髪や髭に白いものが混じっているが、それほど年は取ってなさそうだ。「流、水緒、この人は小川禅定殿だ」 桐崎は小川に流と水緒を紹介した。 「その娘か?」 「印がついてるのはこの子だ。それとこっちの坊主も頼む」 「え?」 流と水緒が同時に桐崎を見上げた。「その